松紳 〜同じようには出来ひんねん

松ちゃんからのお誕生日プレゼント(ラップ歌手デビュー)を全力で拒否する紳ちゃん
紳助バンドをやっていた頃を歌詞どうりに、本気でそう思っていたから恥ずかしくなかった、と
でも今は「そうちゃうよね」「人生ってもっと汚いしどろどろしてるよね」って思ったら歌えない

松「そうですよね。今当時の漫才やれって言われてもおもしろいって思わないとできないですもんね」
紳「せやねん。できんねんで?おんなじ間でおんなじテンポで。できんねやけどおもろないねん」
 「おんなじ言葉おんなじ間でできんねんけど俺がおもろないって思ってるからやねん」
 「自分のなかで自分をだましておもろいってみせるなんて絶対でけへんもんな」
松「あれなんでやろー。不思議ですねぇ...」
紳「阪神巨人なんか上手いやろ?上手い漫才ってちゃうねん、技術がたかいやろ?」
 「何十本とネタもってて『あれやって』って言われたら技術力でスパーンやりよるねん」
 「俺らやダウンタウンは違うねん、『ネタ何本あるんですか』って言われたらいつも1本やねん」
 「1本やねん、他のネタなんかできへんねん。なんでかっていったら技術がないんや」
 「俺らは自分の思い、魂でしゃべるから『おもろいやろっお前ー!!』って伝えてるんや」
 「テクニックはやっぱ阪神巨人やわ」
松「絶対そう、絶対そう。チャーリー浜さんは『ごめんくさい』を毎回『ごめんくさい』と
 思ってるからいえるんですわ」
紳「あれ自分のなかで『いつまでやってるんや俺』って思ったら絶対ごめんくさい言えへんし受けない」
 「だから漫才やってても15分くらいの1本のネタが3分ずつ変わっていくの」
 「で、半年たったら(ネタが)変わってる」
松「それそうですわ、ウチも」
紳「それで、後になってあの時のネタやってくださいってもできへんよ。覚えてるけどでけへんよ」
松「それね、理解してもらえないんですよぉ第三者に。まさにその通りですね」
紳「俺矢沢永吉の映画みたんや、ドキュメンタリーな。ものすごいカッコ良かったねん」
 「だから花月でその話ずーっと面白おかしくしてん、お客さん映画みてへんのに。メッチャ受けるねん」
 「うわー、やったこんな簡単にネタできた思ったけど次の日からスベリっぱなしや」
 「なんでか?いったらその時自分がおもしろいーっ!!て思ったことが伝わってるだけやねんな」
松「(当時の漫才を)まったく同じようにやっても受ける自信がないですね」
紳「まったく違う分野やねん、阪神巨人は技術で...」
松「あれなんでしょうね?昔のネタでも活字でみたらまだ笑えると思うんですよ。」
 「でもそれいざやれって言われたら多分だめなんでしょうね」
紳「昔の映像みておもろいって思うねん、やってみたいなって思うねん、でも絶対できへんな」
 「自分の心の中がそうやって思い...モチベーション下がってるしやなぁ」
 「せやから辞めるって伝える時メッチャ嬉しかったやろ?」
松「僕はここで辞めっていうのはなかったですけどね。だんだんフェイドアウトしていって..」
 「まだ、辞めたとも言ってないですけども」
紳「俺辞めた言った日メッチャ嬉しかったわ。重い重い荷物降ろしたみたいに」
 「もう考えんでええ。俺難波花月最後の舞台の時に舞台からほんま衣装全部投げたもん。着てるもん全部」
 「シャツも脱いで靴も投げてパンツ一丁で俺でていってん」
松「百恵ちゃんがマイク置いたんと同じ感覚...」w

 
そうそうたるメンバーを(ZEEBRAとか)引っ張りだしたにも関わらずどうしてもやだっ(>_<)という紳ちゃんの
弁明のために自ら魂を注いでいた漫才になぞらえて熱く語ってくれました
これを聞くとやはりM−1に思いを馳せざるを得ませんねぇ...。
うーーん...ちょっとたまには本音というか、いつもは自粛していたけれどもちょっと思ったところを
 
 
  
  
 
 
 
昨年の「チンポジ論争」や一昨年の「ノンスタ論争」がどうにもいつまでも引っかかってまして
今回のお二人のお話でなんとなくですが結論めいたものが少し私のなかで見えてきたように思います
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笑い飯とオードリーの一本目はそれこそ研磨され今自分達が一番面白いと思える、
芸人間での流行語大賞の「仕上がってる」状態だったのだな、と。
でもどうしても同じくらい「仕上がってる」ものを2本用意できなかった、やりたくなかった
パンクブーブーNON STYLEはそこに技術を乗っけて2本クオリティを下げることなく用意できた
そこを嫌と言うほどわかってる審査員の先生方が入れる票が「一番おもしろい」を決める大会の肝なのかな、と。
「漫才師」なのか「漫才」なのか
渾身の一本という意味ではやはり前者に軍配があがるのかな、と思います
でもM−1は最終決戦でもう1本ネタをやるんです。2本で評価されるんです
その大会の趣旨を理解して2本用意して表現することはこの大会が「今一番面白い漫才」ではなくて
「今一番面白い漫才師」を決める大会なのだな、とわたしは理解しました
なので2本揃えてそれが薄口になっていたとは私は思いません。
1本目を一旦リセットして考えなくてはいけないんだな、と感じます
 
すみません、どうしても私では言葉足らずでオードリーや笑い飯を軽んじてるように受け取られるかも
しれません。でもそうではないんです。違うんです。
一流の審査員の評価におもねってる訳でもないんです。違うんです。
「大会の趣旨を理解してそれに準じた漫才を2本披露する」ことがあまりにもないがしろにされていることが
どうにもやるせない気持ちになるんです
M−1が好き、愛してやまないと言うのならばそこをいま一度考えてみて欲しいと思うんです
 
....。うっとうしくてごめんなさい。でも絶対言っておきたかったことなので。
 
また次からはアホなエントリーでノンビリやってくつもりです
こんなんで良ければまた遊びにきてね☆